ミイラ

エジプト古代文明とミイラ製作の起源!古代エジプトのミステリアスな『バー』と『カー』

エジプトの古代文明は、今なお多くの謎に包まれています。

この記事では、古代エジプトがどのようにしてミイラを作り、死後の世界をどう捉えていたのかを紐解いていきます。

乾燥したエジプトの気候がミイラ製作にどう影響を与えたのか、また「バー」と「カー」という死後の存在についての考え方が、どのように文化や宗教観に組み込まれていたのかを解説します。

スフィンクスくん
これらの古代の概念が後の西洋哲学にどう影響を与えたかを一緒に考えていきましょう!

エジプト古代文明とミイラ製作の起源!乾燥した風土が生んだ死後の世界観

古代エジプトのミイラ

古代エジプトのミイラ 出典:burokidesign

エジプトのミイラ製作は、第二王朝の時代にさかのぼることができます

この時期のミイラは、死体を布でくるんで自然に乾燥させるだけの簡単な方法でしたが、第四王朝からは、脳髄や内臓を取り出して脱水するというより本格的な手法が取られるようになりました。

中王国時代になると、ミイラ製作の技術が大きく発展し、新王国時代にはその技術が頂点に達して、たくさんのミイラが作られるようになりました。

しかし、これだけミイラ製作が発展したのは、エジプト独特の乾燥した気候と自然環境のおかげとも言えます。

エジプトの空気は非常に乾燥していて、砂漠の砂や地中に含まれる塩分が死体の腐敗を防ぎ、自然とミイラ化することを防いだのです。

そのため、エジプトの人々は、死体が腐りにくい場所を選んで埋葬するという方法を取りながら、ミイラづくりに興味を持つようになったんですね。

ミイラ製作の背後には、もちろん人間の死への恐怖と、永遠の生命を求める願望があります。

スフィンクスくん
古代エジプトの人々は、死をただの終わりとは考えず、死後の世界が存在すると信じていたため、死体を保存し、副葬品を埋葬することで、死後も生き続けることができると考えていたんです。
これは他の地域ではあまり見られない風習ですが、エジプトの特殊な環境と、死に対する独特な見解が、ミイラ製作を隆盛させた大きな理由と言えるでしょう。
なっちゃん

あの世とこの世をつなぐ!古代エジプトのミステリアスな『バー』と『カー』、その驚くべき違いとは?

古代エジプトにおける「バー」と「カー」という概念、これが非常に興味深いです。

日本では、「バー」は魂、そして「カー」は聖霊と訳されることが多いのですが、この二つの違いを説明するのは、なかなか難しいです。

まず、「バー」についてですが、これはあの世へ行く存在とされています。

古代エジプトの人々は、死後の世界で「バー」が自由に動き回ることを想定していたんですね。

一方で、「カー」はこの世に残る存在で、生きている間に肉体と一緒にいて、死後も個人の墓などに留まり続けると考えられていました。

これはちょっと日本の霊魂観とは異なるところがあって、興味深いですよね。

古代エジプトの人々は、「カー」が最初に存在し、そこに肉体が加わると考えていたのです。

つまり、「カー」が先にあって、肉体はその後にくっついてくる、という発想です。

これが、われわれが通常持っている「肉体が基本で、魂や聖霊がくっついている」という考え方とは全く違うんです。

このように、「バー」と「カー」の役割は、古代エジプトの人々にとって死後の世界を豊かにし、生前の人格や記憶を保存するために重要な役割を果たしていたわけです。

そして、副葬品の話ですが、これもまた興味深いです。

古代エジプトのミイラ 出典:burokidesign

食物や日用品など、これらもすべて「カー」を持っていると考えられていたんです。

ですから、これらを墓に入れることで、亡くなった人の「カー」がこれらの物の「カー」を利用して、あの世でも生活できるようにするというわけです。

スフィンクスくん
ミイラ製作や豊富な副葬品も、これらの霊的存在を支え、適切な環境を提供するために行われたんですね。
なるほど、古代エジプトの人々の死生観、とても興味深いですよね!
なっちゃん

古代エジプトからプラトンへ!時を超えた「カー」の哲学とその影響力

プラトン

プラトン 出典:wiki

古代エジプトの「カー」という思想、これがどうやら西洋哲学にも大きな影響を与えていたといわれています。

驚くことに、ギリシアの哲学者プラトンまでもが、この影響を受けていたのです。

プラトンは、ソクラテスの死後、孤独感にさいなまれながら旅をしていたときに、エジプトで「カー」の思想とであいました。

この出会いが、プラトンにとって大きな転機となり、帰国後、彼の哲学は一変しました。

プラトンは「カー」をギリシア哲学の「イデア」と結びつけ、新たな哲学を展開し始めるんです。

これが後に『対話篇』などで見られる思想の根幹となるわけです。

古代エジプト人が考えていた「カー」の概念は、プラトンが後期に発展させたイデア論に影響を与えたと考えられます。

ただし、古代エジプトではこの思想が理論化されることはなく、その代わりに、神殿や墓といった建築物にその思想が反映されていたんです。

古代エジプト人が私たちに残したものは、ただの遺跡や美術品だけではありません。

古代エジプト人の思想、特に「カー」という存在の本質に関する深い考察は、哲学的な探求への重要な手がかりです。

これが、時を超えてプラトンのような哲学者にまで影響を及ぼし、彼らの思想を形成する助けとなったわけです。

スフィンクスくん
だから、古代エジプトの哲学や文化を学ぶことは、人間存在の本質について考えるための貴重なヒントを得ることにもつながるんですね。
これは、単なる歴史の学び以上の、深い洞察を私たちに教えてくれるんですね。
なっちゃん

まとめ

まとめ

セクション主要内容
エジプト古代文明とミイラ製作の起源第二王朝の時代に始まり、第四王朝から本格的な手法が取られる。乾燥した気候がミイラ化を促進。
あの世とこの世をつなぐ「バー」と「カー」「バー」はあの世へ、「カー」はこの世に残る。古代エジプト人は「カー」を中心に考え、肉体が加わると見ていた。
ミステリー再発見:古代エジプトの魂と肉体、そして「カー」死後の世界での生活保証のためにミイラや副葬品を用いた。死後も「カー」が活動できるように設計された墓。
古代エジプトからプラトンへ!時を超えた「カー」の哲学とその影響力プラトンがエジプトの「カー」に触発され、イデア論に結びつけた。古代エジプトの思想がプラトンの哲学に大きな影響を与えた。

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